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弊社代表取締役社長藤田勉の「世界の中央銀行の独立性の歴史と日本への示唆」をテーマにしたコラムが月刊資本市場に掲載されました。

ストラテジー・アドバイザーズ 代表取締役社長
一橋大学大学院経営管理研究科 客員教授 藤田 勉

1 .日米で中央銀行と政治の距離感が注目される
 政治と中央銀行の距離感が議論になっている。米国のドナルド・トランプ大統領が、再三、金利引き下げを連邦準備理事会(FRB)に対して求めている。高市早苗首相は日銀利上げに慎重姿勢であるといわれる。
 歴史的に、金融政策や業務運営における独立性の範囲は、大きな課題となってきた。中央銀行の独立性が強すぎると、国民の意思や政府の意向が反映されにくくなる。一方で、独立性が低いと、政府の圧力を受けやすい。
 世界では、1980年代後半から1990年代にかけて、多くの中央銀行が独立性を獲得した(注 1 )。これは、1970年代に二度の石油危機が発生して世界的にインフレ率が急速に高まったことと、1980年代に金融自由化が推進されたことの影響が大きいと考えられる。
 中央銀行の独立性については、目的決定の独立性(goal independence)と、手 段 選 択 の 独 立 性(instrument independence)に分類される(注 2 )。前者は、中央銀行自らが目的を設定し、金融政策を担うが、こうした例は、まれである。高い独立性を誇る欧州中央銀行(ECB)でも、その目的は欧州連合(EU)機能条約で規定されるため、後者に分類される。ほとんどの中央銀行の独立性とは、手段選択の独立性である(注 3 )。
 以下、欧米の中央銀行の独立性に関わる制度から、日本に対する示唆を得る。

2. FRBは実力で独立性を勝ち取った

 米国の中央銀行制度である連邦準備制度(FRS)は、FRB、連邦公開市場委員会(FOMC)、12地区の連邦準備銀行で構成される。FRBは政策決定について大統領他の個別承認を必要
としない独立政府機関である。ただし、FRBは議会の監督下にあり、報告、証言が義務付けられている。
 金融政策の手段である公開市場操作を決定するのはFOMCである。FOMCは、 7 名の理事と 5 名の地区連銀総裁で構成される。伝統的に、FOMCの議長は理事会議長、副議長はニューヨーク連銀総裁が選ばれている。ニューヨーク連銀総裁以外の 4 人は11地区連銀からの輪番制である(連邦準備法12条A
条(a))。つまり、議長は、組織としてのFRBの経営と金融政策の両方について、責任を負う。FRB理事の任期は14年間であり、任期途中の退任がない限り、 2 年に一度選任される。このため、政治の影響は相対的に受けにくい。
 日銀法により、政策決定会合では多数決が法的拘束力を持ち、総裁の 1 票も他の委員の 1 票も同じ価値である。一方、FOMCは多数決を採用するが、連邦準備法には議決の法的拘束力が明記されていない。伝統的に、議長のリーダーシップで金融政策が決定されるため、議長の権限は強力であると考えられる。
 トランプ大統領は、ジェローム・パウエル議長の解任を画策した。連邦準備法には、FRB理事の解任規定はあるものの、議長の解任規定はない。よって、理事を解任しない限り、議長の解任はできない。
 大統領は、重大な事由がある場合のみFRB理事を解任できる。2025年にトランプ大統領は、リサ・クック理事の解任を発表したが、連邦最高裁は重大な事由に該当しないとしてこれを
差し止めた。このため、議会が連邦準備法を修正しない限り、大統領が議長を解任することは著しく困難である(事実上できない)。
 連邦準備法には、FRBの独立性は明示されていない。FRBは、政府内で独立しているのであって(independent within the government)、政府から独立しているものではないと解されている(independent from the government)(注 4 )。つまり、政府の経済政策の枠組み内で、FRBは金融政策の手段や時期などについて政府内で独立性を持つ。
 FRBは財務省の従属機関の位置づけであったため、戦前は、戦費調達のために政府が金融緩和圧力をかけることが多くあった(注 5 )。朝鮮戦争時に、金融引締め策を採りたいFRBと財務省が対立した。1951年に、トルーマン大統領の調停により、FRBの金融政策の独立性の尊重に関する財務省とFRBの協定
ができた(注 6 )。それ以降、政府によるあからさまな圧力は減った。
 1978年、ジミー・カーター大統領は友人で実業家のウィリアム・ミラーをFRB議長に就任させた。しかし、ミラーは二度に亘る石油危機に起因するハイパーインフレに対処できず、1979年に辞任した(事実上の更迭)。ミラーは財務長官に「昇格」した。後任のポール・ボルカー(当時ニューヨーク連銀総
裁)がインフレを収束させたとして、高い評価を得た(注 7 )。
1987年に議長に就任したアラン・グリーンスパンはマエストロ(巨匠)と呼ばれ、その卓越した能力は高く評価された。同年10月19日にブラックマンデーが発生し、米国株(S&P500)は20.5%下落した。1929年大暴落の再来といわれ、世界的に株価が急落した。しかし、FRBは直ちに流動性を大量に供給し、かつ利下げを実施して危機を乗り切った。1996年に、グリーンスパンはITバブルに沸く米国株式相場を「根拠なき熱狂」を称した(注 8 )。2000年にITバブルは崩壊した。さらに、1998年
のLTCM危機(大手ヘッジファンドの経営破綻に起因する金融危機)の対処についてもその功績は高く評価されている。
 ボルカーは、民主党のカーター大統領に任命され、共和党ロナルド・レーガン大統領に再任された。18年 6 ヵ月に亘って議長を務めたグリーンスパンは、レーガン大統領が任命したが、共和党ジョージ・H・W・ブッシュ大統領、民主党ビル・クリントン大統領、共和党ジョージ・W・ブッシュ大統領と 4 人に再任された。バーナンキの任期は 8 年と、共和党ジョージ・W・ブッシュ大統領、民主党バラク・オバマ大統領に任命された。こうして、FRBは政権交代による影響を受けにくい体制が出来上がった。
 ボルカー、グリーンスパン、ベン・バーナンキ、ジャネット・イエレンら優れた歴代議長の功績により、高度な専門性を有する金融政策に関しては専門家に一任することが適切であるとの評価が概ね定着した。その結果、FRBの独立性は、成文法で明示することなく、慣習法的に定着している(注 9 )。

3 .欧州中央銀行(ECB)の独立性は明示されている
 ECBは、その発足の経緯から、ドイツの中央銀行であるブンデスバンクのDNAを引き継ぎ、世界の中央銀行の中でも高い独立性を持つ。欧州連合(EU)最大の経済力を持つドイツは、ユーロ圏の経済政策の決定において大きな影響力を持つ。
 ECBは1998年に発足し、本店はドイツのフランクフルトにある。1923年、ドイツではハイパーインフレが発生し、経済が危機的な状況に陥った。このため、ブンデスバンクは、伝統的に物価の安定を重視している。ECB発足以前は、世界でも最も高い独立性を有する中央銀行の一つであると評価されていた(注10)。
 ECBの 独 立 性 の 法 的 根 拠 は、EU機 能 条 約130条 に あ る。「ECB、各国中央銀行、意思決定機関のメンバーは、いかなる者の指示を受けず、また、外部の者は、これらに対して影響を与えようとしてはならない」とする。欧州中央銀行制度(ESCB)とECBに関する法令 7 条にも、同様の規定が置かれている。
 ECBは、制度上、業務、組織、人事、予算の独立性が担保されている(注11)。EU機能条約127条で、ESCBの第一義的目的は、物価安定と規定されており、ECBは政策手段決定の権限がある。ECBの場合は、政策理事会が、総裁、副総裁、 4 名の専務理事、ユーロ参加国の中央銀行総裁20名、合計26名によって構成されている。
 各国中央銀行総裁の任期は最低 5 年(再任可能)で、政策理事の任期は 8 年(再任不可)である。そして、重大な事由がない限り、任期途中で解任できない。ECBの予算は、EUとは別
であり、各国中央銀行拠出による自己資本を持つ。そして、EU機能条約123条により、各国政府への信用供与、国債買取が禁止されている。

4 .日銀の独立性の明文規定はない
 日銀法は、立法経緯と日銀法 3 条により、金融政策の判断と業務運営について、金融政策上の独立性が担保されていると解釈される(注12)。日銀法では、「日本銀行の通貨及び金融の調節
における自主性は、尊重されなければならない」( 3 条 1 項)、そして「業務運営における自主性は、十分配慮されなければならない」( 5 条 2 項)と規定する。政府答弁でも、立法経緯に鑑み、独立性の根拠条文として日銀法 3 条 1 項が挙げられている(注13)。
 政策委員の人事については、国会同意、内閣任命であり、監事は内閣任命、理事、参与は、財務大臣の任命である(日銀法23条)。日銀法第 4 条は、金融政策が政府の経済政策の基本方針と整合的なものであることを求める。これらを総合すると、米国同様、日銀は「政府内」で独立して金融政策を決定できるものと考えられる。
 米国では、大統領に法案を作成する権限がないため、大統領主導で連邦準備法を改正することは容易でない。米国と異なり、日本は議院内閣制であるため、与党のトップが首相であり、与党は国会で多数を占める。このため、首相の意に沿わなければ、日銀に対して大きな影響を与えるべく日銀法を改正することは難しくない。よって、政権の意向を受けて政策が大き
く変更されることがある。
 政権交代を機に、日銀が金融政策を大きく転換した歴史がある。2012年 2 月に、白川方明総裁は「インフレ率 1 %の目途」を導入した。しかし、安倍晋三政権の誕生直後の2013年 1 月に
白川総裁はこれを「インフレ目標 2 %」に修正した。もちろん、金融政策は財政政策などと整合的である必要があり、日銀がそれを反映して政策を修正することは適切である。

結論:中央銀行の独立性は実力で勝ち取るもの
 過去の例では、日銀総裁の出身母体によって金融政策の基本方針が左右されるように見える。戦後は、第17、19代総裁新木栄吉氏、第18代総裁一萬田尚登氏と日銀生え抜き総裁が続いた。1956年に、池田勇人首相(当時)と大蔵省同期入省の山際正道が第20代総裁に就任した。1964年に、三菱銀行頭取であった第21代総裁宇佐美洵は、戦後唯一の民間出身の総裁となった。
 第22代総裁佐々木直(1969~1974年)以降、2023年まで54年間、総裁は日銀出身者と、財務省(大蔵省)出身者(事務次官)の襷がけ人事となった。1971年のニクソン・ショックによる円ドル固定相場停止、1973年の完全変動相場制移行、そしてその後の金融自由化などによって、金融政策の重要性は大いに高まった。
 一般に、財務省出身者の総裁は金融緩和を志向する。澄田智総裁は、1987年 2 月以降、 2 年 3 ヵ月に亘って公定歩合を2.5%(当時史上最低)に据え置き、これがバブル発生の一因となったといわれる。2003年経済白書は、1990年前後の日本のバブルとバブル崩壊は、過度な金融緩和がその一因とする(注14)。
 2013年に、黒田東彦総裁は「異次元の金融緩和」を実施した。しかし、2 年で 2 %のインフレ目標は達成できず、一方で、過度な金融緩和の副作用が生じたという見方がある。
 一方、日銀出身者は金融引き締めを志向しがちである。1990年にバブル崩壊で東証株価指数(TOPIX)が39.8%と急落する中、三重野康総裁は公定歩合を計 3 回、2.25ポイント引き上げた。
 2000年 3 月にITバブルが崩壊した。同年 8 月、速水優総裁は政府の反対を押し切って利上げしたものの、半年後に利下げに転じた。2006年に米国住宅バブルが崩壊したが、福井俊彦総裁は2006年 7 月と2007年 2 月に利上げした(2008年にリーマン危機発生)。
 植田和男総裁は、2023年の就任以降、金融政策を転換して、マイナス金利を解除し、その後、利上げを実施してきた。引き続き利上げを志向すると見られる。そして、黒田総裁時代の過度な金融緩和政策について、国債の買い入れ額の縮小、上場投資信託(ETF)の売却などの修正をしている。
 過度な金融政策の修正は適切なものと考えられる。しかし、仮に、それが過度な金融引き締めになった場合、将来、その反動が起きかねない。植田総裁は初の学者出身(日銀退任後、大学教授に就任した場合を除く)であるだけに、バランスの取れた政策判断がなされると思われる。
 結論として、中央銀行が独立性を高めるには、高い政策運営能力を持ち、その実績によって、市場や政治から信頼されることが不可欠である。そのためにも、総裁の出身母体にかかわらずバランスの取れた政策が実効されることが期待される。

(注 1 )藤木裕「金融政策における委員会制とインセンティブ問題」(金融研究、2005年10月)70~120頁。
(注 2 )Speech by Chairman Ben S. Bernanke At the Institute for Monetary and Economic Studies International Conference, Bank of Japan, Tokyo, Japan May 25, 2010, “Central Bank Independence, Transparency, and Accountability”
(注 3 )Amol Agrawal, “Central Bank Independence: A major victim of the 2007 crisis”, STCI Primary Dealer, December 9, 2001.
(注 4 )FRB, “The Federal Reserve System: Purposes and Functions”, June 2005 (Ninth edition), pp. 2-3.
(注 5 )The Federal Reserve Bank of Richmond, “The 50th Anniversary of the Treasury-Federal Reserve Accord 1951-2001”, 2001
(注 6 )Treasury Department, “RELEASE SUNDAY MORNING NEWSPAPERS MARCH 1951”
(注 7 )Marvin Goodfriend and Robert G. King, “The Incredible Volcker Disinflation”, NBER Working Paper Series, Vol. w11562, August 2005.
(注 8 )“The Challenge of Central Banking in a Democratic Society”, Remarks by Chairman Alan Greenspan at the Annual Dinner and Francis Boyer Lecture of The American Enterprise Institute for Public Policy Research, Washington, D.C. December 5, 1996
(注 9 )Speech by Chairman Ben S. Bernanke at the Institute for Monetary and Economic Studies International Conference, Bank of Japan, Tokyo, Japan May 25, 2010, “Central Bank Independence, Transparency, and Accountability”
(注10)Lucia Quaglia, Central Banking Governance in the European Union: A comparative analysis, Routledge, 2008, p.47
(注11)ECBウ ェ ブ サ イ ト、Speech by Lorenzo Bini Smaghi, Member of the Executive Board of the ECB at the conference Good Governance and Effective Partnership Budapest, Hungarian National Assembly, April 19, 2007, “Central bank independence: from theory to practice”
(注12)日本銀行金融研究所 「公法的観点からみた日本銀行の 組織の法的性格と運営のあり方」(金融研究、2000年 9 月) 1 ~78頁。
(注13)衆議院議員馳浩ウェブサイト「衆議院議員馳浩君提出日本銀行の独立性に関する質問に対し、下記答弁書を送付する、内閣総理大臣鳩山由紀夫」(内閣衆質174第205号、2010年 3 月12日)
(注14)経済企画庁「年次経済報告バブルの教訓と新たな発展への課題」(2003年 7 月27日)

(出典:月刊資本市場 2026.01(No. 485))