高まる地政学リスクと株式市場
藤 田 勉
株式相場や為替相場の歴史を紐解くと、大きな変動の多くは地政学的な要因が影響している。世界の金融市場を理解するには、地政学の本質を見極める必要がある。ウクライナに侵攻したロシアと、ガザを長期間にわたって攻撃するイスラエルなど、世界の地政学リスクは危機的な水準にある。両国の所業は非難に値する面もあるが、被害者であった歴史もあり、憎悪の連鎖を増幅しないために、歴史や宗教的な背景を理解することは欠かせない。
1.地政学の基礎理論
なぜ、今、地政学なのか株式相場や為替相場の歴史を紐解くと、大きな変動の多くは地政学的な要因が影響している(図表1)。例えば、1950年に、朝鮮戦争による朝鮮特需が発生し、株式相場は大きく上昇した。しかし、1953年にソビエト連邦ヨゼフ・スターリン共産党書記長が死去し、朝鮮戦争が終結するとの見方が出て、「スターリン暴落」が発生した。1973年の第4次中東戦争と1979年のイラン革命は2度の石油危機の契機となり、日本株に大きな影響を与えた。世界の金融市場を理解するには、地政学の本質を見極める必要がある。
地政学では、地理的な視点を交えて、国際政治や安全保障を分析する。国際政治や安全保障においては、地理的要因がたいへん重要となる。例えば、ドイツとフランスは隣国同士であり、三十年戦(1618 ~ 48年)以降、ナポレオン戦争(1806~ 15年)、普仏戦争(1870 ~ 71年)、第1次世界大戦(1914 ~ 18年)、ルール占領(1923年)、第2次世界大戦(1939 ~ 45年)と、歴史的に多くの戦争があった。
また、「敵の敵は味方」ということもある。歴史的に、英国とロシアは多くの軍事同盟を結んできた。ナポレオン戦争、2度の世界大戦などがその例である。いずれも、ドイツやフランスが共通の敵だったので、同盟を結んだ。例えば、第2次世界大戦では、ソ連のスターリンと英国のチャーチルは仲がいいので手を組んだというよりは、共通の敵がヒトラーだったので、手を組んだと考えられる。
以下、前半は地政学の基礎理論を説明し、後半は現在の地政学リスクを歴史と宗教の視点から分析する。

⑵ 地政学とは何か
地政学は、19世紀後半以降、欧米で発達した。安全保障、軍事力に焦点を当てた地政学を、特に地政戦略学(Geo-Strategy)と呼ぶ(注1)。その代表的な理論は、ドイツのカール・ハウスホーファ(1869 ~ 1946年)の生存権理論、英国のハルフォード・マッキンダー(1861 ~ 1947年)のハートランド理論、米国のニコラス・スパイクマン(1893 ~ 1943年)のリムランド理論である。
これらは、19世紀後半から20世紀(冷戦期)に妥当していた伝統的地政学であり、国家の(軍事的)戦略的行動を説明し予測する研究であった(注2)。第2次世界大戦時の日本やドイツ、冷戦時代の米国やソ連のように、国家の膨張政策を正当化するイデオロギーとして用いられることもあった。以下は、主要な地政学用語である。
世界島は、ユーラシア大陸とアフリカ大陸を合わせた世界最大の「島」であり、世界島の中心に位置するユーラシア大陸の北内陸部(モンゴル帝国や旧ソ連の領土に相当)をハートランドと呼ぶ。リムランドは、ハートランドの周辺地域(極東、中国、東南アジア、インド、欧州)である。リムランドとハートランドの中間地域、例えば、東欧(例:ウクライナ)、中東(同パレスチナ)では、民族、宗教、言語、文化、生活習慣などが複雑に入り交じる。そのため、多くの紛争が発生している。
ランド・パワー(大陸国家)は、他国と陸の国境で接する国家である。ロシアやドイツのように、海軍は小さいが強力な陸軍を持ち、ハートランドやその周辺に大きな力を持つ。シー・パワー(海洋国家)は、国土が海に囲まれ、または強大な海軍など制海権を有する国家であり、英国や米国、そして戦前の日本がこれに該当する。
⑶ ドイツで発展した生存権理論
地政学のルーツは、ドイツ(あるいはプロイセン)で発達した。19世紀以降、ロシア、フランス、オーストリアなどの大国に囲まれていたドイツが生き抜くためには、平時から戦争計画をつくり上げ、短期決戦や電撃作戦によって緒戦で勝負を決着することが必要であった。そこで、クラウゼウィッツの「戦争論」など戦略論の研究が発達した。
プロイセンは、デンマーク(1864年)、オーストリア(1866年)、フランス(1870 ~ 71年)との戦争に連続して勝利し、ドイツ帝国を成立させた。そして、これらに加えて、第1次世界大戦の対フランス作戦、第2次世界大戦のポーランド侵攻、フランス占領、ソ連侵攻など、ドイツはすべて電撃作戦を実行した。しかし、普仏戦争のように、短期決戦で終わると勝利するが、2度の大戦のように戦争が長引くと、大国に囲まれているドイツは敗北を喫した。
フリードリヒ・ラッツェル(1844 ~ 1904年)が、政治地理学の祖といわれる(注3)。生存圏という
概念は、ラッツェルが提唱したものである。生存圏理論は、国家が自立して生存するために、生存圏があると考える。国家が生き抜くためには、生存するための領土が必要となる。ラッツェルは、チャールズ・ダーウィンの進化論に影響を受けた。「国家は生きている有機的組織体であり、優れた国家は生存圏を拡大する」という考えを提唱した。要は、「強い国は勢力を拡大するのが当然。弱い国は消え去る」、という帝国主義を正当化する考えである。
スウェーデンの政治学者ルドルフ・チェレーン(1864 ~ 1922年)がラッツェルの考えを体系化するとともに、「ゲオポリティーク(政治地理学)」という用語を造り出した。チェレーンは、領土拡張により資源を確保し、生存圏における自給自足体制の確立を提唱した。ドイツ軍人出身で地理学者のハウスホーファーが生存圏理論を、政治宣伝として活用した。ハウスホーファーは、ラッツェルとチェレーンの思想をベースとし、後述のマッキンダーのハートランド理論にも影響を受けた。ハウスホーファーは、1909 ~ 10年に、日本に軍事オブザーバーとして滞在した(注4)。1940年日独伊三国同盟や1941
年日ソ中立条約など、日本の軍事政策にも影響を与えた。
生存圏理論は、ランド・パワーのロシアとドイツが連合し、シー・パワーの英国と米国をユーラシアのリムランド(つまり大陸欧州)から排除するという考えである。こうして、生存圏理論は、2度の大戦に大きな影響を与えた。しかし、第2次世界大戦後、戦犯に問われたハウスホーファーは自殺し、ドイツで発展した政治地理学は消滅した。
⑷ 20世紀の対立を予言したマッキンダーのハートランド理論
最も代表的な地政学の理論は、英国の地理学者マッキンダーによるハートランド理論である。マッキンダーは、1899年にオックスフォード大学に地理学部を創設し、ロンドン大学政治経済学部の学部長、下院議員も務めた(注5)。マッキンダーは、2度の世界大戦や冷戦の構造を予言し、現在の地政学の基礎を築いた。マッキンダーは、ユーラシア大陸中央部をハートランドと呼んだ。その主張は、「世界島(ユーラシア大陸とアフリカ大陸)を支配する者は世界を支配する。世界島の中心にあるハートランドを支配する者は世界島を支配する。東欧を支配する者は、ハートランドを支配する」である(注6)。ハートランド周辺地域である東欧で紛争が起きやすいとして、「東欧を制する者が、世界を制する」と主張した。なお、ハートランドの概念を初めて使用したのは、英国の地理学者でマッキンダーの教え子であったジェームズ・フェアグリーブ(1870~ 1953年)である(注7)。
マッキンダーの予言通り、2度の対戦はいずれも東欧が発火点になった。20世紀初頭、東欧のバルカン半島は「世界の火薬庫」と呼ばれた。第1世界大戦は、1914年に東欧のサラエボでオーストリア皇太子が暗殺されたことから始まった。第1次世界大戦の本質は、ランド・パワーの新興国ドイツとシー・パワーの領袖であった大英帝国の対決であった。
1939年、第2次世界大戦は、ドイツとソ連によるポーランド侵攻で始まった。独ソ不可侵条約が締結され、ポーランドの分割占領が実行された。やがて、ドイツは資源が豊富なハートランド(この場合、カスピ海沿岸の油田)に進出するために、1941年にソ連侵攻に踏み切った。
冷戦は、東欧に展開される「鉄のカーテン」(バルト海からアドリア海につながる)やベルリンの壁を挟んで、西側諸国と東側諸国が対立したものであった。その後も、ハンガリー動乱、チェコの春、ベルリンの壁崩壊、ユーゴ内戦、ロシアのウクライナ侵攻など、東欧で大きな動乱が起きた。朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争など世界を揺るがすような戦争のすべてはリムランドとハートランドの接点で発生した(図表2)。

マッキンダーのもう一つの視点が、海軍力に勝るシー・パワー(米国や英国)と陸軍力に勝るランド・パワー(ドイツやロシア)の対立である。当時、米国などの新大陸は歴史が浅く、シー・パワーの覇者である英国は、普仏戦争に勝利した直後のドイツが台頭し、東欧を支配することを懸念した。
マッキンダーは、大英帝国の覇権に陰りがみられる中、ハートランドをドイツやロシアなどのランド・パワーが制すれば、世界を制すことになると考えた。そこで、マッキンダーは、勢力均衡のため、ドイツとロシアの間に、独立国家として、複数の東欧諸国から成る中間地帯が必要であると考えた(注8)。これは、ロシアやドイツに東欧を支配させてはならないとの警鐘であったが、英国政府がハートランド理論を採用することはなく、やがて、2度の大戦につながった。
戦後、東欧を実質的に支配し、かつハートランドの大部分を実質的に支配したソ連は、中国、キューバ、北朝鮮、モンゴル、ベトナム、インド、エジプト、シリアなど、欧州以外にも同盟国を広げた。世界を制覇するには至らなかったが、米国と並び立つ大国になった。
⑸ ハートランド理論の問題点
歴史的に、欧州はハートランドから攻めてくる騎馬民族に侵略された歴史がある。そのためか、ハートランド理論には、ハートランドの重要性を過大視する傾向がみられる。
例えば、英国の民族構成の多くは、アングロ・サクソン民族である。彼らの起源は、ドイツのアングル、サクソン、ジュートなどの諸部族である。4世紀に、アッチラ率いるフン(アジア系遊牧民族)が欧州に侵攻し、それが引き金となってゲルマン民族の大移動が起こった。その結果、西ローマ帝国が崩壊したが、同時にアングルやサクソンからゲルマン人が英国に渡り、先住のケルト人をアイルランドなどに追いやった。その後も、元(モンゴル)、オスマン帝国(トルコ)などハートランドの騎馬民族が欧州を脅かした。例えば、フィンランド人、ブルガリア人(マジャール人)、エストニア人はモンゴル系をルーツに持つ。
ハートランドは広大であるが、気候は寒冷もしくは乾燥している。その多くは砂漠や森林であり、人口も多くない。このため、文明や文化という点でも、世界的な功績はそれほど大きくはない。
マッキンダーが台頭した19世紀末は、大英帝国の全盛期であった。一方で、米国は建国後100年を経たにすぎず、新興勢力にすぎなかった。また、米国は孤立主義をとっていたため、列強の植民地獲得競争に出遅れ、世界の中ではその影響力は限定的であった。このため、マッキンダーの理論は、ユーラシア大陸を中心として展開されている。つまり、米国を中心に国際政治が展開する現代においては、ハートランド理論には限界がある。
⑹ 米国で生まれたシー・パワー理論
米国海軍少将アルフレッド・セイヤー・マハン(1840 ~ 1914年)は、地政学の名称の生みの親である。シー・パワー理論を提唱したマハンは、海軍の歴史家としてシー・パワーとランド・パワー
の歴史を研究した。マハンは、安全保障上そして経済上、海洋が重要であり、世界大国になるためには海洋を掌握することが絶対不可欠な条件であると考えた。特に、シー・パワーとして覇権を握った大英帝国を教訓とし、米国内で吸収しきれない工業・商業製品の受け入れ先として、米国も対外的な拡張政策をとることを主張した。
1902年に、中東という用語を初めて用いたのも、マハンである。中東とは、アラブとインドに挟まれた地域で、海軍戦略上重要な拠点であった。歴史的に、独立時の経緯から(後述)、米国は伝統的に外交的孤立主義をとる。1823年に、第5代大統領ジェームズ・モンローが米大陸と欧州大陸の間の非植民地化、非介入、非干渉の方針を発表した(モンロー主義)。このため、米国の植民地政策は遅れていた。
マハンの理論は、ウィリアム・マッキンリー大統領、セオドア・ルーズベルト大統領など、米国の海洋戦略に影響を与えた(注9)。1898年に、米国はハワイを併合し、さらに、米西戦争に勝利し、プエルトリコ、グアム、フィリピンを領有した。1903年には、キューバから、グアンタナモ湾の海軍基地を永久租借している。このように、シー・パワー理論は、米国がその後、国際主義に転換する一つの理論的支柱となった。
⑺ 米国の安全保障政策の中核となったリムランド理論
米国が本格的な国際主義に転換した理論的支柱は、ニコラス・スパイクマンのリムランド理論であった。米国イェール大学の国際関係論の教授であったスパイクマンは、リムランド理論により冷戦時代の米国の安全保障戦略に大きな影響を及ぼした。
スパイクマンは、ハートランドの周辺地域をリムランドと名づけ、リムランド理論に進化させた。欧州、インド、中国、日本などハートランドの周辺地域であるリムランド(周辺地域)は温暖、湿潤であり、人口が多い。よって、スパイクマンは、「世界の歴史はリムランドで生まれる」と、その重要性を主張した。また、第1次世界大戦後であり、世界の覇権は英国から米国に移った時期でもあった。
ランド・パワー(ドイツ、ロシアなど)とシー・パワー(英国、米国など)の中間にリムランド(西
欧、北欧など)があり、リムランドの重要性が地政学的に高いと主張する。そして、リムランドを支配する者がユーラシアを制し、ユーラシアを支配する者が世界の運命を制すると考えた。
1942年に、スパイクマンが著した『世界政治における米国の戦略』は、第2次世界大戦後の国際情勢を読み解く上での枠組みが示されている。リムランド理論は、米国の冷戦時代の外交政策に大きな影響を与えたといわれている。実際に、冷戦時代に、米国は対ソ連の「封じ込め戦略」を採用した。
さらに、スパイクマンは、ユーラシア大陸やアフリカなどの旧世界と、米大陸などの新世界の対立論を唱え、旧世界が特定の大国に支配されれば、新世界も征服されるとの脅威を示した。このため、新世界の米国が、旧世界に積極的に介入すべきと主張した。そして、米国は、旧世界の大国間の均衡を構築し、維持するため、孤立主義ではなく、対外介入主義を採用すべきであると提唱した。戦後、大陸間弾道ミサイルや機動的に世界展開できる軍隊を持つ米国は、多くの軍事同盟を結び、世界の警察官として多くの戦争や紛争に介入した。
2. 地政学的事象の理解には歴史と宗教が重要
⑴ 米国の孤立主義回帰が地政学リスクを高める
現在、世界的に地政学リスクが高まりつつある。ロシアのウクライナ侵攻、イスラエルのガザ侵攻は歴史に残る軍事衝突となった。北朝鮮の核開発、中国による対台湾強硬姿勢なども、世界の安全保障情勢にとって大きな不安要因である。そして、トランプ政権による米国の関税率引き上げは世界経済、金融市場を大きく揺さぶっている。現在、世界の地政学リスクを高めている要因の一つは、米国の孤立主義への回帰である。2013年に、米国オバマ大統領は、「米国はもはや世界の警察官ではない」と宣言した。アフガン戦争やイラク戦争において、多くの米国の青年が戦死し、あるいは、兵士が帰還後、精神的な問題を抱えるなど、社会的なコストが大きかった。警察官がいなくなれば、必然的に治安は悪化する。
ドナルド・トランプ大統領は米国第一主義を掲げるが、これは米国伝統の孤立主義を反映するものである。トランプ大統領は欧州や日本などの同盟国に対して軍事力増強を求め、米国の経済的負担を減らすことを推進する。関税率引き上げも米国第一主義の一環である。
米国の孤立主義は、主に①ユーラシア大陸からの地理的隔絶、②世界最強の軍事力、③広大な国土、世界有数の人口、豊富な資源エネルギー・食糧、によって可能となった。戦後、ソ連の軍事的な脅威があったため、米国は欧州や日本などと軍事同盟を締結した。そして、米国のエネルギー生産が減少する一方で、中東へのエネルギー依存が高まった。米国は自国の利権を守るために、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガン戦争など主導し、積極的に軍事介入した。こうして、米国は孤立主義から国際主義に転換せざるを得なかったのである。
しかし、1991年にソ連は崩壊し、東西冷戦は終結した。21世紀に入って、シェール革命によって、米国のエネルギー生産は世界1位になり、中東に関与する理由の多くが消えた(図表3)。こうしてみれば、トランプ大統領の掲げる米国第一主義は歴史の必然であるといえよう。以下、米国第一主義、ロシアのウクライナ侵攻、中国による対台湾強硬姿勢について、歴史的、あるいは宗教的な背景を分析し、これらに関して、今後の地政学リスクを分析することとする。

⑵ 米国第一主義の歴史的背景
米国第一主義は、歴史や宗教に密接に関連する。これは、単にトランプ大統領の個人的な思想によるものではなく、多数の米国民に支持される考えである。2024年の大統領選では、トランプ大統領は大幅な関税率引き上げを公約した。選挙人獲得数はトランプ候補312人対民主党カマラ・ハリス候補226人と大差がつき、上院、下院のいずれの選挙も共和党が勝利した。このように、米国民は関税率大幅引き上げを含む米国第一主義を明確に支持したのである。
米国民の62%がキリスト教徒であり、それ以外の宗教が7%(ユダヤ教2%など)、無宗教が29%である(注10)。キリスト教徒62%のうちプロテスタントが39%、カトリックが19%である。トランプ大統領の主要な支持層は福音派(プロテスタント)であり、これは人口全体の23%を占め最大である。2024年大統領選で、福音派の82%がトランプに投票した(出所:CNN)。
福音派のルーツは、英国のピューリタン(清教徒)である。英国王ヘンリー8世(在位1509 ~1547年)は、妃キャサリンとの間に女子しかいなかったため、離婚を試みた。しかし、ローマ教皇により拒否されたため、英国国教会を設立した。1534年に国王至上法が成立し、英国の教会は国王を唯一最高の首長と規定した(注11)。
ピューリタンは、16世紀の宗教改革時にカルヴァン(フランス)に影響を受けたプロテスタント(ラテン語で抗議を意味する)である。ピューリタンは、英国国教会からカトリック教の要素を排除することを求めた。しかし、ローマ教皇との関係が決定的に悪化することを避けたい英国国教会はそれを退けた。1603年にイングランド王に即位したジェームズ1世はピューリタンを厳しく弾圧した。
17世紀以降、専制君主を戴く帝国主義国家同士が戦争を繰り返す欧州と決別し、理想のキリスト教国家をつくるべく、欧州から多くのプロテスタントが北米に移住した。1620年に、ピルグリム・ファーザーズと呼ばれるピューリタンがメイフラワー号で米国に移住した。1630年代には英国で弾圧が強化され、ピューリタン大移住が始まった(注12)。その後、1640年に英国でピューリタン革命がおこり、1649年に国王チャールズ1世が処刑された。
米国では、プロテスタントを中心に東部で植民地が建設され、英国の強圧的な支配に反抗して13州が国家を成立させた(1776年独立宣言、1783年パリ条約)。米国は世界初の民主主義国家であり、1787年に世界初の成文憲法を制定した。こうした経緯から、建国以来、米国の政策はキリスト教的価値観を色濃く反映する傾向がある。過去30年間に、米国株は11.4倍(S&P500、2025年9月末、TOPIX2.2倍)、住宅価格は4.6倍(S&Pコアロジック・ケース・シラー住宅価格指数10都市平均、季調済、2025年7月)になった。東海岸のウォール街の高学歴エリートや西海岸のシリコンバレーの起業家らは、所得水準が相対的に高く、かつ資産価格高騰の恩恵が大きい。そして、自らの価値観であるLGBTQ、中絶容認、環境保護、銃保有禁止などを、敬虔なキリスト教徒である福音派に押し付けがちである。政治的には、民主党支持者が多い。一方で、福音派は、中西部や南部など地方の白人高卒労働者が多い。一般に、所得水準が低く、かつ資産価格上昇の恩恵が相対的に小さい。このため、米国の貿易赤字が大きいメキシコ、カナダ、中国などに対して反感が強い。また、東部や西部の大都市の高学歴エリートとは異なり、反移民、銃所持、中絶反対、同性婚反対、反DE&I、反環境保護という思想を持つ。政治的には、共和党支持者が多い。2024年大統領選では、州別1人当たり所得下位10州のうち9州で共和党トランプ候補が勝利した(図表4)。こうした経済格差と価値観の相違が、米国の分断を生んでいる。これらについての不満を政治勢力としてうまくまとめ上げたのがトランプ大統領であり、共和党支持者からの支持率は93%と圧倒的に高い(2025年9月、ギャラップ調査)。結論として、世界がいかに反発しようとも、トランプ大統領は関税率引き上げに代表されるような米国第一主義を貫くであろう。
⑶ ロシアのウクライナ侵攻は長期化する
2022年2月に、ロシアはウクライナ侵攻を開始した。これには歴史的な背景がある。ロシアのルーツはウクライナである。9世紀に、スカンジナビア半島にルーツを持ち、「櫓の漕ぎ手(ルーシ)」と呼ばれたバイキング(ノルマン人)が南下した。ロシア民族初の国家はキエフ大公国である(1240年にモンゴル帝国に滅ぼされた)。その後、14世紀に勃興したのがモスクワ大公国で、これが現在のロシアとなる。ウクライナは1853年クリミア戦争、1941年キエフ攻防戦で戦場になり、多くのロシア兵士が血を流した。2015年に、ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの間でミンスク合意が締結された。これは、ロシア系住民が多く住むウクライナのドネツク州、ルガンスク州の2地域に幅広い自治権を与える内容である。2019年に、ウクライナ憲法が改正され、将来的には欧州連合(EU)、NATO加盟を目指す方針を明記した。2021年には、ゼレンスキー大統領はミンスク合意を履行しないと表明したが、これがプーチン大統領の「虎の尾」を踏んだといわれる。

日本、米国、英国、ドイツ、フランスは、「ロシアは他国を侵略、占領し、多くの人々を殺害した」と批判している。しかし、歴史的に、欧米列強はロシアを何度も侵略し、多くのロシア人を殺戮した。ナポレオン戦争、対ソ干渉戦争、そして第2次世界大戦がその例である。2度の世界大戦で、ロシアの死者数は世界最多であった。第2次世界大戦で、ソ連は2,300万人以上が犠牲となった(最大値推計、第1次世界大戦は330万人、出所:Centre européen Robert Schuman)。1940年のソ連の人口は1.7億人であり、犠牲者は人口の14%である。ちなみに、太平洋戦争時の日本の死者数約310万人で、人口比4%(7,200万人)である。日本も、ロシア(ソ連)を侵略、占領し、多くのロシア人(ソ連人)を殺害した歴史を持つ。日本は1918年から4年間シベリア出兵を行い、ウラジオストクからイルクーツクまで占領した。一
方で、ソ連が満州や樺太に侵攻したことはあるが、ロシアが日本本土を侵略、占領したことは一度もない。歴史的に、ロシアは周辺国を衛星国として支配し、自国の安全保障を図るという戦略をとってきた。ナポレオン(フランス)やヒトラー(ドイツ)は、ウクライナやベラルーシを通過して、ロシアを侵略した。このため、ロシアは自国防衛のために、ウクライナやベラルーシを自国の影響下に置く必要がある。モスクワとキーウの距離は約740キロであり(東京-山口と同じ)、モスクワから国境まで450キロ(東京-姫路と同じ)である。ロシアとしては、ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)に加盟し、欧米の核の傘に入ることは許容できない。西側諸国によるロシア制裁は38カ国しか参加していないため、その効果は限定的である。中国、インド、トルコ、イラン、サウジアラビアなどの経済規模の大きい非民主主義国家がロシアを支援している。このように、ロシアにとって、ウクライナは安全保障にかかわるだけに妥協できない問題であり、戦争はかなり長期化する可能性がある。
⑷ 中国による台湾統一問題
歴史的に、中国には華夷思想(日本では中華思想と呼ぶ)がある。これは、黄河中流域を世界の中心(中華)とし、それ以外は北狄、東夷、南蛮、西戎と呼び、文明の乏しい未開の地と考えるものである。中国の歴史は、漢民族と異民族の戦いの歴史でもある。農耕民族である漢民族に対し、北方民族
は機動力のある騎馬軍団を率いて、経済的に豊かな中国王朝を度々侵略した(図表5)。19世紀以降、中国は欧州列強や日本の侵略を受けた。1894年の日清戦争で敗れた清は台湾、澎湖諸島、遼東半島(三国干渉で返還)を日本に割譲した。1914年に日本は山東省に出兵し、1915年には21カ条の要求を突き付けた。1931年に日本は満州を占領し(満州事変)、翌年に満州国を建国した。1937年に日中戦争が始まり、終戦までに中国は2,000万人が戦死した。2013年に、習近平は国家主席に就任した。主席の任期は5年間であるが、何度でも再任可能である。健康状態が許せば、2038年までは国家主席であり続ける可能性がある。現在、72歳の習主席だが、その時点で85歳である。ただし、これは中国の歴史では特に高齢ではない。毛沢東は82歳(死去)、鄧小平は85歳(92歳で死去)まで、最高権力者の地位にあった。習主席が就任時に掲げたのが「中華民族の偉大なる復興」である。中国は1840年のアヘン戦争開戦から1945年の日中戦争終結までを百年国恥と呼ぶ。偉大なる復興とは、百年国恥からの復興とかつての世界の中心であった「中華」を取り戻すということを意味する。

百年国恥の間に、世界の中心であるはずの中国が日本(東夷)や英国(南蛮)などに侵略され、国土が蹂躙された。そこで、アヘン戦争で英国に奪われた香港、日清戦争で日本(その後、国民党蒋介石総統)に奪われた台湾の奪還を、国家の悲願としているのである。1982年に、鄧小平が一国二制度による台湾と香港の統一を提案した。鄧は「武力で奪われた香港を武力で取り戻す用意がある」と述べ、英国サッ
チャー首相と香港返還交渉を行った。1997年に平和裏に香港返還は実現し、2020年に香港国家治安維持法制定によって、実質支配を取り戻した。同様に、中国が武力行使によって台湾統一を目指す可能性は低いと思われる。中国による台湾支配の歴史は意外に短い。台湾の原住民はポリネシア系であり、最初に統治したのは17世紀初頭のオランダであった(1683年に清が支配)。ロシア対ウクライナの例をみても、中国が台湾に侵攻すれば、全世界を敵に回すことがあり得る。台湾には、独立派の現在与党の民進党と親中国の国民党がある。馬英九国民党政権時代(2008~ 2016年)には、経済面を中心に中台接近が図られた。中国は国民党政権誕生を支援し、2030年代に、台湾から一国二制度による統一を要請する形を目指すのではないか。1978年米中共同宣言では、米国は「中華人民共和国が唯一の政府。台湾は中国の一部」と認めている(1979年、米中国交樹立)。米国も、平和裏に中台統一が進むことは容認するであろう。歴史的に、日本は、663年の白村江の戦、1592~ 1598年の文禄・慶長の役で、大陸に進出して、
中国と戦った。その後も、日清戦争、山東出兵、満州事変、日中戦争と、度々、中国を侵略した。
しかし、漢民族率いる中国が日本を侵略したことはない(元はモンゴル人)。近年、日本は台湾有事に備えて、防衛力を増強するという動きがある。しかし、中国が台湾支配のために、米国と軍事同盟を結ぶ日本に侵攻するとは考えにくいので、それは杞憂であるように思える。
3.おわりに
ロシアによるウクライナ侵攻の長期化につれ、世界の主要国は軍事力拡大競争を繰り広げている。世界の国防費のうち、米国は38%を占めている(2024年)。2025年度の国防費は134兆円であり、前年度比13.4%の増加である。トランプ大統領は、2025年予算教書で、米国史上最大となる152兆円の国防費(2026年度)を要求した。ロシアの国防費は対GDP比3%で推移していたが、2025年度(当初予算)対GDP6.3%になった。 欧州は、2025年3月に、防衛費調達を目的として、130兆円(8,000億ユーロ)規模の再軍備計画を発表した。財政規律の緩和(財政赤字がGDP比3%超でも過剰赤字手続きの一時停止)、EU加盟国の融資制度(SAFE)の新設、民間資本の活用で、防衛費増額を目指す。岸田政権においては、防衛費対GDP比2%の目標が掲げられた。2025年度予算1.8%に対し、米国政府は、3.5%に引き上げるよう要求している。これらは冷戦時代の米ソ軍拡競争のようであり、依然として、世界の地政学リスクは危機的な水準にあると考えられる。ウクライナに侵攻したロシアと、ガザを長期間にわたって攻撃するイスラエルは、世界から厳しく批判されている。もちろん、両国が何の落ち度もない多くの人々を殺害していることは、非難に値する。しかし、同様に、第2次世界大戦中に、何の落ち度もないロシア人が2,000万人、ユダヤ人が680万人も殺害されたことを忘れてはならない。 「加害者は忘れるが、被害者は忘れない」ものである。これ以上、憎悪の連鎖を増幅しないためにも、われわれは歴史や宗教的な背景を理解することが重要である。
〔参考文献〕
浅川公紀[2015]「地政学再考」、『武蔵野大学政治経済研究所年報』10、1 ~ 26ページ.
尾形勇・岸本美緒編[1998]『中国史』、山川出版社.川北稔編[1998]『イギリス史』、山川出版社.
シュパング,クリスティアン・W.著 石井素介訳[2001]「カール・ハウスホーファーと日本の地政学
―第1次世界大戦後の日独関係の中でハウスホーファーのもつ意義について―」、『空間・社会・地
理思想』6、2 ~ 21ページ.庄司潤一郎[2004]「地政学とは何か―地政学再考―」、防衛省防衛研究所ブリーフィング・メモ、2004年3月.曽村保信[1984]『地政学入門―外交戦略の政治学―』、中央公論社.
フリント,コーリン著 高木彰彦編訳[2014]『現代地政学―グローバル時代の新しいアプローチ―』、
原書房.増井志津代[2000]「インターナショナル・カルヴィニスト運動としてのピューリタニズム―英国宗教改革からピューリタン北米植民地建設まで―」、『キリストと世界』10、34 ~ 63ページ.マッキンダー,ハルフォード・ジョン著 曽村保信訳[2008]『マッキンダーの地政学―デモクラシーの理想と現実―』、原書房.
Fairgrieve, J.[1915]Geography and World Power, University of London Press. Pew Research Center[2005]“Religious Landscape Study: Database,” February 26, 2025.
(出典:証券アナリストジャーナル2025.12)
